生活の観察

Reasoning in the Wild

テーブルの上に積み上がった本と書類をどうするか。どうもしない。

年末だから掃除をしようとかいう面倒な心掛けの類をこれでもかと捨て去ってきたが、それはそれとして散らかりすぎだろう。研究室の惨状を目の前にして、さすがにそんなことを思ってしまう。

本ぐらいは本棚に戻すかと机上にとっ散らかった本を手にとれば、どれどれとつい目を通してしまう。一度本棚から出したということは、何かの用事があったということだ。その本の何を、何のために参照しようとしたのか記憶をたどろうとするのだが、たいがいは思い出せない。思い出せないのだが、きっと大事なことが書かれているから出したはずなのだ、という期待がページを次々にめくらせる。

片付けついでにティム・インゴルドの『メイキング:人類学・考古学・芸術・建築』の第六章「円形のマウンドと大地・空」を読んだ。インゴルドがマウンド(小山)についてあれこれと思索をめぐらせるのだが、なるほどマウンドとは面白い。

マウンドを観察するということは、現在のその成り行きを目撃することでもある。それは積み上げる行為において存在するといっていい。このことは、マウンドを或る基盤の上に立ち、その環境に対して立ちはだかり抗うように設置された完成された対象物だと考えることではない。そうではなく、地中から湧きでてきた物質が、天候の流れと混ざりあい、生命を継続して生み出している成長と更新の場を考えることである。

(Ingold 2013=2107, 166-7)

インゴルドが思索の対象としているのは、大地に根ざした堆積物の隆起としてのマウンドである。彼の考察の詳細については本書を読んでもらうとして、僕が面白みを感じたのは「マウンドを観察することとは、積み上がるという行為のうちにある成り行きの目撃を通して、生命を継続して生み出している成長と更新の場を考えることだ」というこの要約的表現である。

インゴルドの思索は大地のマウンドに向かっているけれども、僕は目の前の人工物のマウンドをこの態度で観察したい。この部屋には、人工物のマウンドが少なくとも2つあるのだ。しかもそれは一つのテーブルの上にある。この1年間のうちどこからか発生して、長いことこの部屋に残り続けたものである。

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ひとつめはこの積み上がった本である。これをマウンドといってよいのかとも思うが、まあ「積み上がったもの」繋がりということで。

これは見る人がみれば、何か統一的テーマのもとで積み上げられた本たちだということが何となくわかるだろう。事実そのとおりなのである。今夏、一本の論文を書こうと思っていた。それに必要な本をまとめておいたものである。残念ながらその論文は一文字も書かれることなく年末まで至った。まだ諦めきれないんだという未練と、でもやっぱり(あれやこれやの事情で)書けないよなあという諦念のせめぎ合いがあるなか、この積み上げられた本をずっとそのままにしている。来客時は一時的にどかしたりしたこともあったが、半年以上ずっとこのままだ。

片付けられない人工物のマウンドは、この積み上げられた本の対面にもある。じつは本題はこっちである。こっちは先のものよりもマウンドらしい形状である。まずは写真をみてほしい(いかにも片付いていない感じで恥ずかしいのだが)。

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書類やら何やらが雑多に積み重なったマウンドである。先の積み上がった書籍が整然と積まれていたのに対して、こちらは明らかに「雑」で、いかにもこの部屋の主のだらしなさを示しているように見えるだろう。それはそうなのだが、この雑さには合理的な理由がある。

先の積み上がった書籍が半年以上そのままであったのに対して、こちらのマウンドはかなり動的である。というのも、ここは「決まった置き場所はないし、扱いも定まっていないが、すぐに捨てるほどでもない資料」を置く場所だからだ。

だから、このマウンドはすぐに積み上がる。ときどきそれをかき回しては、必要な資料を引っ張り出して少し読み、マウンドのてっぺんに放り投げる。その積み重ねがあって、このマウンドは現在の形になっているのだ。

どちらも確かに「積み上げる行為」によって形成されている。しかし、その成長と更新という点からみれば対照的だ。積み上げられた書籍は、僕が論文を書くという活動に没入したときに成長と更新の場として動き出すだろう。しかしいまはただ静かに眠っている。一方で、書類のマウンドは、集合としての曖昧さゆえに何でも放り投げられるから、この一年間は相当に活動的だった。しっかり観察していないが、マウンドの形状自体はそう変化していないと思うが、その中身は相当に入れ替わっていると思われる。

同じテーブルの上にある二つの対照的なマウンドをしげしげと見つめ、その来歴を振り返る。どちらも僕には必要で、片付けの対象ではない。年を越してもしばらくこのままだ。事情を知らない人はこの状態をみて「片付いていない」と言うかもしれないが、そうではないのだ。でも、来年も来室した人にたぶん僕は「すみません片付いてなくて」と言うのだろう。

研究室はたいして片付かなかった。

 

参考文献:

Ingold, T. 2013. Making: Anthropology, Archaeology, Art and Architecture. Routledge.(=2017, 金子遊・水野友美子・小林 耕二訳『メイキング:人類学・考古学・芸術・建築』左右社)