生活の観察

Reasoning in the Wild

バレーボールの技術的詳細を「映像」を通して観察するということについてのいくつかの覚書

深夜の夜泣き対応中はゼロ歳児がいつ起きて泣くかわからない不確実性があるので、作業必要時間が長く、かつ集中力が必要な作業をすることはできない。そういうわけで、頭を使わず、途中で作業をやめてもなんの支障もない、とはいえそれなりに楽しめるものということで、最近はぼんやりとバレーボールのプレー動画を眺めている。30歳のときに仕事の関係で東京から京都に引っ越すまで、20年弱バレーボールをやっていたのだ。とはいえ、バレーボール自体は好きなのだが、テレビ中継を観るのはそんなに好きではない。

なぜなら、自分がプレイヤーとして見ていた景色と、テレビ中継を介して観るそれはずいぶん違うからだ。ひとつひとつのプレーに連動している観察可能なフォーメーション、身振り、手足の動き、体のひねり、視線、声掛け、サイン、ボールの軌道、ネットとプレイヤーの距離…等々がテレビ中継の「やり方」では十分に把握できるようになっていない。テレビ中継の場合、たいていは対戦中の両チーム全体が入るようにコートの側面から撮影された映像が映されるが、あの距離と方向と角度では、試合のその都度の組み立てに決定的に重要であるにもかかわらず「見えないもの」がいくつかあるのだ。

たとえば、テレビ中継の基本スタイルだと前衛のブロッカー、特にレフトとセンターはほとんど重なってしまうので、前衛3枚のブロックに関する動きがわからない。他の競技は知らないが、バレーボールは敵も味方も事前のさまざまな取り決めを資源としつつその場即応的に協調的に動いている。こうきたらこうするのだというパターンを徹底的に練習で覚え、基本的にはそのとおりに動く。ここで言うパターンとは、特定のチームや個人に帰属しない、すべてのチーム・プレイヤーに共有されている基本的なものと、対戦相手に応じて設計する応用的なものがある。いずれにせよ、ワンプレーごとにコートのなかの構成要素のすべてが協調的に連動しているという意味で秩序立っていて、全体をひとまとまりのものとして認識可能という意味で構造的で、これらが観察可能なものとして組織されているという点で再現性を備えているものなのである。僕はバレーボールがそういうものだということを知っているので、ブロッカーの動きが不明瞭な映像を見るという経験は、他人がやっているパズルを外部の観察者である僕にだけ部分的にマスクして見せられているようなもので、ややストレスである。

もっとも非参与的な観察は、往々にしてこのようなパズルを見続けるようなものなのだろう。次にどうすべきか、どうすればこれまでのプレーの流れを維持することができるのか、こうしたなかで誰をどのように識別するのか、身体や視線をどう動かすのか…こうしたことをうまくこなしながら秩序立ったアンサンブルを一定時間のあいだ一貫して組織するという課題に観察者は直接従事していないからだ。それはプレイヤーたちの課題である。とはいえ、他人がやっている外部からは不明瞭なパズルであっても、わかるものはある。たとえば「ここにボールが抜けてきたってことはセンターブロックがちょっと遅れたのかな」といった推測は映像的に見えていなくてもできる。ただしこうしたことは、知識と技術に依存している。

いささか前置きが長くなったが、今回分析的に考えたいのは、この「バレーボールの中継映像を、それなりの知識と技術をもつ(というか、かつて持っていた)『自分が』見る」という経験はどのようなものなのか、ということだ。

何を見たいか/見せたいか:プロの映像とアマチュアの映像の比較

バレーボールの中継映像はメディアのプロたちが多様な視聴者に対して作ったものだ。彼らが視聴者に何を見せようとしているのは、それ自体しっかりした分析が必要だが、ひとまず言えることは、アマの試合の撮り方はまったく異なっているということだ。↓の動画は、昨年開催された世界選手権(男子)の日本対キューバ戦の動画だ。TBS提供。再生すれば分かるが、基本はコートの側面から両チーム全体を捉える。得点が入ったときなどは別角度からの映像が挟まれる。

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一方、アマはプロのようなやり方で撮影しない。↓の動画を見てほしい。関東学連1部の早稲田大や筑波大のバレー部をアマと呼ぶことが適切かどうかは一考の余地があるが、とりあえずここで確認したいのは、コートの後方から撮影していることだ。

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コートの後方から撮影している理由は2つある。まずは会場の問題だ。アマの大会は、体育館に複数のコートを設置して、複数の試合を同時並行で行う。撮影者は基本的に観客席から撮るので、自ずとコートの後ろから撮ることになる。

もう一つの理由は、コートの後方から撮った方がプレイヤーの位置や動きがよくわかるということにある。アマでは、相手チームを分析したり自チームの振り返りをするためにビデオ撮影はよく行われる(あとは思い出のためということもある)。このとき、プレイヤーたちがコートのなかでその都度気にしていることが完璧でなくともそれなりに捉えられていることが重要だ。「前衛のブロックの動き」がちゃんと映っていない映像に分析的価値はないのである。

実際、プロとアマの動画を見比べてみれば分かると思うが、圧倒的にアマの映像の方が「見える」はずだ。ためしにYouTubeで大学のバレー部や地域のクラブチームがアップしているほかの試合動画を検索して見てみるといいが、基本的にはこのスタイルがほとんどであることがわかるだろう。

プレイヤーの格率を把握するということ

以上のように、プロの基本映像では、アマ・プロ問わずプレイヤーがコートのなかでその都度気にしていることが十分に捉えられていない。もっとも、こうしたことはおそらくは制作側も一定の理解があるはずだ。というのも、映像の基本シークエンスは、「引いて両チーム全体を収めた映像」をベースとして、サーブ権が移った少しの隙間時間に、サーブ権が移った決定要因(たいていはスパイクを決めた瞬間)を後ろ斜めもしくは後方からの別カメラでややアップ気味に撮った映像をスローで差し込み、そこに解説を加える工夫をしているからだ。この解説の挟みによって技術的・戦略的詳細のフォローアップをしている。解説がやっていることはさまざまだが、ここではプレイヤーの視点について明確に述べているケースを見てみよう。

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上記の動画では、日本側からサーブを打ったあと、それをレシーブしてセンターラインから入ってきたキューバのオソリア選手のスパイクに対して、日本のセンターの選手がブロックに入っている(実況:「ミドルブロッカーを使ってきましたが」)。続いて日本のセンターブロックにボールが引っかかり、ライト前衛あたりに落下してきたのをライト前衛と後衛が交差するかたちで拾っている(実況:「オソリアのスパイクをワンタッチかけてから拾って」)。そのボールはレフト後衛あたりに飛んだので、セッターではなく、レフト後衛にいたリベロ(白ユニフォームの選手)がレフトにトスを上げる。しかし、レフトスパイクはキューバにブロックされてしまう(実況:「だっ 石川がブロックされました」)。このときキューバ側はレフトに2枚ブロックしていることがわかるが、映像的には重なってしまっており、どのような状況かはわかりにくい。

このケースからまずわかるのは、実況は基本的にボールに変化が生じたタイミングで、その理由を「〜が」とか「〜て」という語尾を使うことで継起性を示すことで、プレーの切れ目までの流れを視聴者にわかるようにしているということだ。ただしそれは、ボールのまわりに限定されている。先にも述べたとおり、バレーボールはワンプレーごとにボールまわり以外のさまざまなものが連動している。だから、実況が言及する対象はプレー全体からすれば部分的である。僕の視聴経験の範囲では、ボールまわり以外のことに実況が言及するケースは、「試合の流れ」や「雰囲気」といったこと以外はほぼない。言ってみれば、バレー経験がなくても言及できる内容に終始していると言っていい。

解説は、実況が示した「プレーの流れ」の上に、さまざまな詳細を加える役割を持つ。先の場面の直後に、日本のレフトアタッカーのアタックがブロックされた映像がスローで差し込まれているが、ここで解説は日本の選手がキューバの選手にブロックされたことについて、以下のような苦言を呈している。

解説:(ブロックされた直後のタイミングで)ここですね。相手のブロックが非常に、あの見えずらい状況だったので、うしろから、何枚来てるとか、ストレート側とか、コールを、してあげるといいかもしれないですね。

実況:ええ。

スロー映像を見るとキューバのブロックが2枚がっちりレフトについていることがわかる。がっちり2枚ブロックがついた場合のレフトアタッカーの取れる手段はいくつかあるが、その場合「2枚ブロックがついている」ということを瞬時に理解していなくてはいけない。解説はそこに問題があることを指摘している。後ろ側からトスが上がったことでレフトアタッカーがブロックが見えない状況ならば、後衛の選手が声かけによって視覚の代替をすべきだ、ということなのである。こうした「視覚の代替」はバレーボールの経験があるほとんどの人が実践的に理解していることではある。実際、映像を見てもレフトアタッカーは自身の後方から飛んでくるボールを視線で追っており、キューバのブロックを見ることができない状態だったのは誰でもわかるだろう。

さて、解説がここで述べていることはじつは非常に高度なことである。そもそもスパイク動作は非常に難解である。日本バレーボール協会発行の『コーチングバレーボール:基礎編』でも、次のように説明されている。

空間で位置とタイミングをとらえ、ボールの軌道と自分の動きを合わせることは、空間認識、ボール軌道の予測、自分自身の動作の認識、タイミングなどの複雑な要素によって成り立っており、初心者にとってもっとも難しいことであるので、他の課題と同時に取り組ませることは避けて、最初のうちはフォームにこだわらない方がよい。

佐藤伊知子 2017, 154)

解説は、スパイクのこの難解な動作に加えて、通常「アタッカーはボールと相手ブロックを併せて見る」が、このケースはイレギュラーであり「ボールは見えているが相手ブロックは見えていない」ので、視覚代替を後衛選手が行うべきだと述べているのである。「できていなければいけないことができていない」ようなトラブルケースが発生した場合、解説はしばしばべき論に併せてプレイヤーの視点を示すことがある。視聴者にとっては、プレイヤーの視点を(媒介的に)獲得する貴重なタイミングである。しかし、そこでのプレイヤーの視点への言及がバレーボールの格率とでも言うべきものに立脚していることまでは明示的には語られないから、そのような「繰り返し利用可能な」知識獲得の機会として解説の話を聞くことができる視聴者はそう多くないと思われる。

たとえば、「アタッカーはボールと相手ブロックを併せて見る」ことは、バレーボールの教科書にはほとんど書かれていないか、言及なしの前提となっている技術である。一方で、こうしたことをプレイヤーがやっていることは、ある程度のバレーボール経験をもつ人なら「常識的にわかる」ことでもある。より踏み込んで言うなら、「プレイヤーはプレイ中、ボールと併せてXを見よ」というのは、バレーボールのプレイを貫くもっともベーシックな格率のひとつである。それができていないことが一度露見すれば、それは問題として認識されるか、能力の欠如として理解される(要するに「下手」ということである。なお、だからといって道徳的に非難されるわけではないので、「格率」という言葉の使用は適切ではないかもしれない)。

バレーボールのプレイヤーは「ボールと併せてXを見る」という基本的な視覚スタイルでプレーしているという知識を一度もてば、実況や解説が特段それに言及せずとも、また映像的支援が十分でなくとも、コート内で起きていることの見通しがある程度よくなるはずだ。その練習として、実況にも解説にもプレイヤーの視点の言及がない、先の場面から続く場面を見てみよう。

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この場面は、キューバからのサーブを受けて、日本の選手がバックセンターからスパイクを打ったところから始まる(実況:「シフトはまだバックセンターに」)。このスパイクはキューバのブロックに引っかかり、キューバコートのレフト前衛あたりにボールが落ちる(実況:「ワンタッチかけて、そして」)。それをレフト前衛の選手が拾い、セッターがトスを上げる。トスが上がったのはバックライトにいたキューバの選手エレラで、エレラはバックアタックを打つ(実況:「今度はバックライトからエレラーーーーー!)。

この場面でも同じく、実況はボールまわりの動きのみに言及している。引きの映像だとネットまわりで何が起きているかわかりにくいが、このシーンの直後に差し込まれたこの場面の別カメラによるスロー映像を「プレイヤーはプレイ中、ボールと併せてXを見よ」という格率のもとでプレーしているという知識をもって見ると、ここで起きたことがそれなりにわかるようになる。

スロー映像を見ると、日本のブロッカーは、レフト、センター、ライト(映像では見切れている)に広くポジションをとっていることがわかる。このポジション取りは、キューバ側の選手がバックライト・バックセンター・前衛レフトの3方向からスパイクを打つ準備動作に入っていることを見てとってのことだろう。このとき日本のセンターブロックは右手を挙げ、ライトブロックの選手に「こちらに寄ってくるな」とジェスチャーで示している。こうして、誰か特定の選手にブロックを集めるのではなく、均等にブロックポジションをとるスプレッド・シフトをその場で選択したことが見て取れる。

また、センターブロックがクイックを警戒した決め打ちブロックを飛んでいないことから、日本のブロック戦術はリードブロックである(決め打ちで飛ぶのをコミットブロックと呼ぶ)。リードブロックは相手のトスが上がったところにブロックがそれを追いかけて飛ぶ戦略である。教科書的には次のように説明される。

[リードブロックは]セットアップに反応するので、その前に起こっている事象に右往左往しない。世界標準の追い方だ。

(高橋宏文 2019, 99)

この説明はやや不明瞭である。「その前に起こっていることに右往左往しない」ということがどういうことなのかはよくわからないのではっきり述べることはできないが、もしそれが「セットアップ前の相手チームのプレイヤーの動きを気にしない」ということならおそらく間違っているように思う。このスロー動画を見てわかることは、キューバ側のセッターがボールに触れる前に、日本側のレフトブロッカーはキューバ側のバックライトの選手を見ていて、日本側のセンターブロッカーはキューバ側のバックセンターの選手を見ていることである。キューバ側のセッターがトスを上げた瞬間に日本側のセンターブロッカーはトスが上がった方向、すなわち日本側から見てレフト側に視線を向け、そちらにブロックを飛ぶ準備動作に入っている。そしてレフトブロッカーにやや遅れてセンターブロッカーもレフト側に飛ぶが、相手のバックライトからのアタックがクロス方向に抜けてしまう。

いくつか専門用語を交えて解説してしまったが、こうした理解までは至らないまでも、ひとまず「プレイヤーはプレイ中、ボールと併せてXを見よ」という格率のもとでプレーしているという知識に即して映像を見れば、映像で確認可能なプレイヤーの視線の動きに関心が向くだろう。ボールの動きだけを追う実況的なものの見方から脱却することができる。実際、プレイヤーの視線の動きから、この場面でひとまず前衛のブロッカーが何を気にしていて、少しセンターブロックが遅れた理由が合理的に理解できるようになったはずである。

ちなみに、このスロー映像が挟まれた場面では、実況と解説は以下のような「気持ち」の問題について話しており、プレーの技術的詳細については実況と解説のやり取りを聞いてもわからない。

実況:キューバが第四セット息を吹き返すような序盤の入りです。

(約2秒無言)

解説:あれまあよくあることなんですけど3セットめ、あれだけ点数が離れてると、逆に気持ちの切り替えができるんですよね。

実況:そういうもんですか。

解説:はい。

この場面で起きている技術的詳細をアマレベルで理解するためには、最低限、「プレイヤーはプレイ中、ボールと併せてXを見よ」という格率のもとでプレイヤーが動いていることを知っている必要がある。そうでなければ「キューバの攻撃が日本のブロックを交わした」というレベルでの理解にとどまることになる。

かつて、バスケットボールのエスノメソドロジー研究をしたダグラス・マクベスは、その論文のなかで、30年以上のバスケット経験を持つ自分自身でも観察者の立場から技術的詳細を把握することは困難を伴うし、プロのプレーの場合3回目のパスの時点でプレーを見失うと述べている(Macbeth 2022, 62)。これは、困難ではあるけれども観察者から把握できる技術的詳細はいくらかはある、という主張だとみなすこともできる。僕がここまでで述べてきた格率はまさにそうしたレベルのものだ。

ところで、マクベスはこの記述をした箇所で「バスケットボールがなぜこれほどまでに観客を魅了するスポーツになったのか疑問ではあるが、それを探求する手がかりがない」という内容のことも併せて述べている。バレーボールも同じである。とはいえ、完全に謎に包まれているわけではない。わかることは、視聴者はここまで僕が述べてきたような技術的詳細には関心がなく、映像制作側もその提供に大きな価値を見出していないということだ。おそらく彼らは別のことを楽しんでいる。僕は一方で技術的詳細をできるだけ特定しようと映像を見つめている。

マチュアとプロの言語体系

最後に、やや予断ではあるが、僕の記述が「アマチュアレベル」に留まっていることについて若干の考察を加えておきたい。

じつはここまでの記述は、アマチュアの語法ともいうべきもので書かれている。アマチュアの多くは、プロのバレーボールプレイヤーとはいくぶん異なる世界観をもっている。結論を先取りして言うと、アマチュアの多くは「位置」と「役割」を重ねて理解するが、プロはそうではない、ということに尽きる。

バックアタックが戦法の選択肢にない」という例を通してこのことについて整理する。バックアタックとは、後衛のプレイヤーがセンターラインを踏み越えずに攻撃に参加することを指す。これをやるには背丈やジャンプ力、そして技術が求められるので、アマチュアでこれができるプレイヤーはかなり限られる。加えて言えば、セッターの対角に左利きのバックアタックができるプレイヤーを置くことができれば、どんなローテーションでも常に攻撃を3枚揃えることができるが、バックアタックもできる左利きのプレイヤーが自チームにいることなど、一部の強豪を除いてないのである。一方プロでは、バックアタックができるのはアタッカーの基本スキルであるし、左利きの選手も在籍していることも多い。その中でももっともアタックのスキルが高い選手がセッターの対角に置かれることが多い。

セッターの対角にバックアタッカーを置けるチームは、そのプレイヤーをアタック専従にする場合がある。そうしたプレイヤーをスーパーエースまたはオポジットと呼ぶ。同じくセッターの対角に置かれる選手でも、攻守双方の場面でレシーブに参加する選手はただのライトである。セッターの初期位置はたいていは後衛ライトなので、その場合はどちらも表現できる言葉として、セッターの対角という意味で「オポジット」はどちらも使えるはずだが、現在は主にオポジットスーパーエースと同義で使用されていることが多い。なお、セッターの初期位置がセンターだった場合でも、その対角のポジションに対してスーパーエースオポジットは利用できる。つまり、スーパーエースオポジットはセッターの位置に対応した呼称であって、ライトポジションに固定化された言い回しではない。

ところが、アマチュアにはそのような豊富な選択肢がないことが多い。したがって、チームでもっとも強打が得意(かつバックアタックが打てない)選手はレフトに配置され、ライトは器用あるいは左利きの選手が配置されることになる。相手レフトの攻撃のブロックに参加するので、ストレートラインをブロックでうまく防げる選手が配置される場合もあるだろう。ともあれ、ライトに左利きの選手が配置されるのは、ただ単にライトに上がったトスは左利きの方が打ちやすいから、という理由が主であろう。

だからアマチュアの経験者間で話すとき「昔はレフトでした」と言えば「あー、エースだったの?」と言われるし、「昔はライトでした」と言えば、「左利きなの?」と言われることがある。「昔はライトでした」と言ったとき、「じゃあスーパーエースだったんだ」と言われることはまずない(よほど背が高いということがあれば別かもしれない)。アマチュアではこうした解釈のドキュメンタリー・メソッドが用いられるが、プロはそうではない(そもそも自分の役割について位置表現で述べること自体がアマチュア的である)。

プロチームや各国代表チームのプロフィールを少し調べればわかると思うが、選手にはそれぞれ役割(セッター、アウトサイドヒッター、オポジットミドルブロッカーリベロ)がプロフィールに書かれているが、位置(レフト、センター、ライト)についてはまず記載されていない。

僕自身で言えば、背丈・跳躍力・技術がまるで異なる人たちのプレーを見ても何の参考にもならないという理由から、現役プレイヤーであったときはほとんどプロのプレーを分析的に見ることがなかった。テレビでもプロの試合は積極的には視聴していない。自分よりもちょっとだけ上の人たちのプレーを参考にしてきた。つまり、アマチュアの世界のなかだけでやってきたということだ。プロの語彙を随分長く獲得しないままキャリアを進めてしまった。だから、今でも位置と役割の分離を前提とした記述は理解が少し大変だ。上述の記述も、ほとんどアマチュアの語彙で書いたものだ。たとえばキューバのエレンは明らかにオポジットスーパーエースなのだが、それについては言及しなかった。

ただ、プロの語彙で書かなかったことからといって、まったく見当違いの記述になるわけではない。あくまでもアマチュアの世界観を基盤としてプロの世界観は構築されている。だから、たとえば「プレイヤーはプレイ中、ボールと併せてXを見よ」という格率自体がプロにおいて覆されることはそうないだろう。実際、そのもとで理解可能になる場面はかなり多い。ただし、それはやはり限定化された詳細の理解であることは間違いない。図4の事例で言えば、キューバは後衛から2枚、前衛レフトから1枚攻撃のセットアップに入っているが、こんなシフトで攻撃布陣が形成されるケースに僕は一度も試合で遭遇したことはない。だから、守備側である日本の前衛が何を気にして観察可能なブロックポジションを形成しているのかということまではわかるが、それがどのような戦術のもとでパターン化したものか、ということまでは推論が及ばないのである。チームのなかでこうした布陣に対する議論をしたことがないのだ。

10年ほど前に東京の国体予選で某V1リーグのチームと対戦したとき、彼らは当然のようにバックアタックを攻撃に組み込んできたのだが、それにどのように対応してブロックすればよいかかなり戸惑ったことを覚えている。どう考えても彼らはレギュラー陣ではなかったが、控えでもこれぐらいはやってくるのがプロである。頭では基本知識として分かっていることがあっても、普段対応していないことには体がうまく動かないのだ。結果として何もできずに負けたことを思い出す。

だんだん話が脱線してきたのでここらで筆を置くことにするが、どのような人が、何を、どのように見ているのか…という観点は、メディア視聴の分析においてかなり面白いトピックなのではないかと思えてきた。深夜の夜泣き対応でなんとなく始めたバレーボールの動画視聴であるが、僕はそこでこんなことをやっているのであった。映像を見る能力についての議論は、こうした多様な視聴者をどれほど考慮してきただろうか?

 

参考文献

Douglas Macbeth, (2022), "Appendix 2: Some notes on the play of basketball in its circumstantial detail." In Harold Garfinkel, Harold Garfinkel: Studies of Work in the Sciences, New York, Routledge, 58-70.

佐藤伊知子(2017)「バレーボールに必要な基本技術とその練習法」公益財団法人日本バレーボール協会編『コーチングバレーボール:基礎編』大修館書店, 121-178.

高橋宏文(2019)『マルチアングル戦術理解 バレーボールの戦い方:攻守に有効なプレーの選択肢を広げる』ベースボール・マガジン社.